アラフォーオタクの日記

何故か妻子持ちのアラフォーオタクの日記です。作品の感想、自己流の仕事のコツなどを書いていきます。

「武士の家計簿」 加賀藩御算用者・猪山家の家計は身につまされる…

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アニメ、特撮、ゲームと色々なジャンルをつまみ食いしてる私だが、ここ最近ハマってるのが磯田道史先生の「武士の家計簿」という歴史の本(映画もあるが、キャストが苦手な人たちなのでパスした)。f:id:sugayoshi1127341:20180924002708j:image

 

f:id:sugayoshi1127341:20180924002837j:image加賀100万石の経理担当が幕末から明治にかけて37年間つけた家計簿を読み解く歴史書だ。洋の東西を問わず生活史が好きな私にはピッタリの本である。もっと早く読むべきだったが、NHKの「知るを楽しむ」という番組でキモの部分は理解していたので、後回しにしていた。

 

話題の中心となる猪山(いのやま)家は、加賀藩経理部門=御算用者(ごさんようもの)を代々勤める家。加賀は江戸時代最大級の藩で、その運営には御算用者の細かい数値管理が不可欠だった。現代なら縁の下の力持ちとして敬意を払われる彼らだが、江戸時代は評価が低かった。算盤勘定、金勘定は卑しい行為と見られていたのだ。

 

そんな風土のもと、算盤勘定の技能で藩に仕えた3代の立身出世譚が本書である。3代とは父・信之、息子・直之、孫・成之である。3人とも現代の円換算で平均600万程度の給料を貰っている。2世代で勤務していたので家庭の収入は1200万。悪くないどころか裕福に見えるが、問題が3つある。

 

    ①「必要経費込み」だということ。

    ②公私の区別が曖昧で、交際費や冠婚葬祭費が大きいこと。

    ③膨大な借金を抱えていること。

 

磯田先生は、武士が武士であるために使わなければいけない①②を一括りにして「身分費用」と呼称した。これが400万。③は総額2500万もあり、年間の支払いはやはり400万。可処分所得は家族6人+家来2人で400万しかない。

 

まず①だが、武士は戦争に備えて家来を雇うことが義務づけられていた。卑しく見られていた御算用者も例外ではない。しかもその給料は自分が払うのだ。家来は住み込みで働くため、衣食住の面倒も見なければならない。

 

②だが、信仰心が篤い時代だから寺社に払う費用は当然高い。結婚式や葬式も同様である。医療技術が未成熟な当時、死は現代より身近だった。働き盛りの早逝も多く、当然再婚も多かった。また、現代では子どもの私的な通過儀式と言えば七五三くらいだが、当時はたくさんあった(元服あたりは誰しも聞いたことがあるだろう)。それには親類縁者を集めた宴会が伴い、客が連れてきた家来には祝儀を渡す風習があった。男児の儀式1回で35万弱かかったという。これが子ども1人につき何度もあるわけだ。こうした儀式以外にも、親族や同僚などの来客が絶えず、2、3日に1度は誰かの接待をしたらしい。これには、親しい人々に問題がないか、相互に確認しあう意味があったらしい。親族の不始末が自家にも波及する、閉鎖的な時代ならではの処置だ。

 

③である。父・信之が江戸藩邸の単身赴任を8年間強いられ、借金せざるを得なかった。同調圧力が強い時代だから、酒やお茶の付き合いを断れないとか、体面を保つため身なりに金がかかったとか、事情があったのだろう。まして当時の江戸は消費過多で物価が高かった。結果、年収1200万の家が2500万の借金を抱えた。しかも年利20%利息500万円と、闇金ウシジマ君もかくやという鬼金利。当時、商人から見ると武士は難しい客だった。身分制度の頂点に立つ武士から担保を徴収することは難しく、金利を高く設定しないと割に合わなかったわけだ。

 

さらに、武士には原則として昇給がない。基本は関ヶ原の合戦の頃に定められた家禄(家のランクで決まった給料)で、250年後の幕末でもこの額で据え置きだ。社会の発展とともに人件費や物価は上がってるだろうに、給料は変わらないのである。

 

だが、猪山家は御算用者。ここから起死回生の一手に出る。息子・直之は親族一同を集めて会議を開き、家財道具の売却などで1600万を捻出した。そして「即金で元本の65%を返すから残り900万は10年分割の無利子にしてくれ」と貸し手に直談判。現代ならこんなムシのいい話は通らないが、武士相手の金が確実に回収できるなら商人にとってもありがたい。この要望は通り、猪山家は債務超過寸前で踏みとどまった。